テクノロジーによる教育支援への挑戦

テクノロジーによる学びの支援へのチャレンジについて書いていきます

学位がないと発言権がない?

昨日、渋谷近くにある大学での会議に出席した。

いろいろ次世代教育環境について話をしている途中で、とある先生が当方のプレゼンをさえぎりまくしたてはじめた。

修士も博士号も持っていない人間の話なんて誰も相手にしない。」(もうやめろってこと?)

MBAを持っていなければビジネスはできない。」(MBAじゃなくてもできるけど?)

「ビジネスをしている人は人格が卑しい。無償でサービスをせよ。」(何かくれと催促されてる?)

「ビジネスとは人をだますことばかり考えるもんだ」(そんな人は何も売れませんけど...)

「アメリカやイギリスに最低2年間は留学していないと英語が話せるようにはならない。そうでない英語はいんちきだ。」 (十分意思の疎通もできているし、ビジネス上支障ありませんが。)

「テクノロジーを研究していると視野が狭くなり頭がバーチャルになる。」(もう意味不明...)

よくもまあこれだけ罵詈雑言を並べられたものだと、空いた口が塞がらなかった。

時間の無駄なのでプレゼンを途中で中止した。

学位は所定の期間課程に在籍し、単位を取得したり、論文を書くことで得られる。かといって、それを持っていないから発言権がないというのは暴論だ?心の中で思うのは勝手だが、公衆の面前で口に出して言うのは理性がない。

MBAを持っていないとビジネスができないというが、ビジネスの成果を上げられるかどうかとMBAホルダーであるかは必ずしも相関性がない。MBAホルダーで優秀なのもいるし、会社の成果向上に貢献できないのもいる。また、総じて高給なのでノルマも大きくリストラのリスクも高い。現実を知らないからこういう発言になるのだろう。

MBAはうまくいったビジネスの分析方法は教えてくれるが、サービスを具現化したり、顧客を獲得する方法については教えてくれない。現実のビジネスで最も重要だが難しいのは、継続的に新規顧客を獲得し、既存顧客にし、さらにサービスなり製品を購入いただくことである。そのためには常にサービスや製品の改良に努め、真摯に顧客と向き合い、継続的な努力をする必要がある。売り上げがなければ会社は潰れてしまう。

また、いろいろな経験の中から得られた知見を抽象化し、理論的体系を構築することも重要だ。そして、その環境としてビジネススクールが適しているなら、それを選択すればよい。

また、サービスを具現化するのも言葉を知っているだけとは大きな隔たりがある。具現化できなければ絵に描いた餅である。そして、その努力は卑しいものではない。ワンセグ放送を見られるケータイを持っていることと、ワンセグ放送で教育番組を配信するのとは違う話だ。

英語に関しても、欧米にいなくても話せる人はたくさんいる。また専門分野で話をできるくらいには日本にいても可能だ。また、中国の同僚にもネイティブと堂々と渡り合える人はたくさんいた。大切なのはどこにいたかではなく、会議や研究活動の中できちんと論点を整理して話をしたり、コラボレーションできることにあると思う。客観的な指標が欲しければTOEICなどのスコアをとればよい。

こういう時代錯誤な教員がいることが日本の大学の問題である。一方で、全力で奮闘しておられる先生もたくさんいらっしゃる。だから、がんばっている人とそうでない人をきちんと区別して、がんばっている先生の支援をもっとすると大学教育もよくなるのではないだろうか、と考える。教育環境だけ改善してもだめで、マインドの向上が必要である。

ちなみにこの先生、学生に食事をおごらせることを強要する。それって、パワーハラスメント

こんな先生に運悪く出会ってしまった学生は悲惨である。ぜひ、いい思い出を作って卒業してもらいたいものだ。

時代錯誤になりたくない人は次の本を読んでみよう。年初に紹介したベストセラー(A Whole New Mind, Daniel Pink著)の翻訳書が発売された。大前氏はうまい訳をするなあと感心した。

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代