テクノロジーによる教育支援への挑戦

テクノロジーによる学びの支援へのチャレンジについて書いていきます

【eboard応援企画】1. 俺たちに希望はない?

【eboardって?】

Facebookの広告で知った【反転授業の研究】グループでの投稿をきっかけに、eboard(http://eboard.jp)の中村孝一さんとお会いすることができました。manaveeの花房さんや、e-Educationプロジェクトの税所さんとは昨年CAUAのイベントでお会いしたのですが、中村さんとは初対面です。

eboardは「不登校や過疎地の子どもたちに格差のない教育を届けたい!!」ということで、塾の講師をしておられた中村さんが親しみやすい関西弁で、英語や日本史などたくさんの無料講義を配信されています。文字通り、日本のサルマン・カーンのような人です。システムもPython/Djangoで開発されています。

私は、ここ20年位インターネットの教育利用について研究したり、大学で教育研究支援をしたり、アメリカに渡ってオンライン教育プラットフォーム開発などをしてきました。

「では、どうして教育支援に興味をもったんだろう?」

とこの機会に振り返り、私の悲惨な教育体験をグループに投稿したところ、いろいろ反響をいただきました。

かなり恥ずかしいのですが、私が教育格差について関心を持つ貴重な原体験でもありますし、eboardのクラウドファンディングに少しでも役立てばと思い、シェアすることにします。

 

【小学校時代】 

私の実家は、京都府奈良県大阪府の境目に位置する、相楽郡精華町という当時は人口1万人ちょっとの田舎町です。最近は、京阪奈学研都市という名称で、山を切り崩し、企業の研究所がたくさんできましたが、私の家は、裏は竹やぶ、隣は水田、前は畑、という旧来の集落にあります。今でも、田植えの季節になると、何百匹ものカエルの合唱で落ち着いて寝られないほどです。

東京のようにお受験の存在すらも知らず、地元の町立川西小学校に通い、のんびり暮らしていました。小学校5年生までは特に問題もなく学校生活を送っていましたが、小学校6年生になった時に事件が起きました。

担任を担当された先生が産休になってしまい、代理の(林家ペーみたいな髪型をして年中ジャージ姿の)仲先生が来られることになりました。開口一番、

「あなたたちは田舎もんだから、勉強しても意味がない。ウチは南山城村に茶畑があって、福寿園にたくさん茶葉を売ってお金持ちやから、そんなに仕事せんでもええねん。君らも農家の土地を売ったら食べていけるで」

と言って、算数や理科の授業の時間なのに、灰谷健次郎氏の著作「兎の眼」などの朗読をされるのです。しかも感動してボロ泣きしている。来る日も来る日も。

またある時は、赤旗新聞を売りに来られる。

「いったいこの人は何がしたいねん?」

と理解に苦しみました。

「先生、勉強せーへんかったら就職でけへんのちゃいますか?家は貧乏やし、売る土地もない。お父ちゃんからはすぐにでも働いてもらわんと困る、と日頃言われてるんです。」

と質問したら、それから目の敵にされ、長時間立たされたり、天然パーマの髪の毛を指摘して「パーマかけるのはやめなさい」とからんできたり、イジメがはじまります。天然パーマの件については、隣のクラスの長友先生が、「僕も少し髪の毛が茶色くてイジメられたことがある、子どもをいじめるとか何事か?」と仲裁に入って(つかみ合いの喧嘩をして)くださり、それ以上エスカレートすることはありませんでした。

そして、まともな授業を受けず、疑問も解消されないまま、地元の町立精華中学校に進みます。

 

【中学校時代】

幸い中学校では時間割通りの授業が行われて安心していました。特に英語の脇田先生の授業は楽しかった。英語のスピーチコンテストで優勝したら交換留学に来ていた女子大生の先生に表彰して(ハグして)もらえる、ということで、連日ロビンソン・クルーソーの話を丸暗記し、見事優勝、「将来は英語を使った仕事につきたいなあ」と甘っちょろいことを考えてました。アホでした。

部活動にも打ち込み、中学2年生までは平穏な日々が過ぎていきました。

しかし、中学3年生になり、またも出逢ってしまうのです。

 

担任になった青山先生は、京都大学を出て、本人曰く「何かの手違いで」田舎町に赴任してこられました。

そして、開口一番、

「俺は京大出てんねんけど、お前ら田舎もんは勉強してもそこまではいけん、だったら勉強なんかせん方がええんじゃ。部活して高校に行ってサンヨーとかの工場とかで働いとけばええねん。世の中平等が大事じゃ。ハンディキャップのある人を助けたいから、健常者の君たちはどうでもいい。」

とのたまうではないですか!

「おお、これはヤバイ。何とかせんと、本当に未来の選択肢がなくなる」

と思いました。

しかし、いろいろな妨害に遭います。先生の理想は一人も落ちこぼれが出ない、優秀な生徒も出ない、結果の平等、なので、とても進度が遅い。だから平均的な成績の生徒は退屈でたくさんの生徒が居眠りしていました。最もできない生徒に合わせて授業をします。でも、学習障害(当時は認識されていなかった)のK君などはそれでもついていけないのです。すると、そのK君を先生が殴って「なんでお前はアホなんじゃ」と怒る。ヤンチャな生徒が「もう止めといたってくれや」と仲裁(先生ボコボコにされたいんか?とおどし)に入る始末。

 

昼間から寝てばかりも辛いので、教科書をどんどん読み進めることにしました。

しかし、ある日気づくと、机の中の教科書がない!

職員室に行って、

「先生、僕の教科書なくなったんですけど」

というと、

「勝手に教科書読んで勉強するとはけしからん。勝手なことをせんように、ワシが預かっとるんじゃ」

と仰る。

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

というと、

「じっと廊下を見て座っとけ、何もするな」

というツレない回答。

何もしないで廊下を見ているのは苦痛でした。そこで、理科の尾上先生や部活の川岡先生に相談します。先生方が青山先生にかけあって、教科書を取り返してくださいました。この二人の先生は、「お前の人生やから好きなようにしたらええ、遅れたところはわからんかったら教えたる」とおっしゃり、地獄で仏、とはこのことかと思いました。

「よし、これで挽回できるわ」

と思ったのですが、今度は、体育の時間から帰ってくると、学生服がなくなっています。またもや、青山先生の仕業です。学ランを取られて寒くて死にそうなのを見て薄ら笑いを浮かべている先生にとても嫌悪感を感じました。

なんかもうどうでもよくなってきて、学校に行くのが嫌になり、朝になると動く気もせず、体調が悪いと言っては家でフテ寝するようになりました。自己嫌悪感で一杯でした。

さらに、衝撃的な事件が起こります。地元の公立高校(府立田辺高校)の説明会での、校長先生のスピーチです。なんと、この人も

「田舎もんは勉強なんかしてもしかたない。部活やってれば推薦で就職できる。勉強したいような人はどっか他の学校でも探してください」

と仰る。周囲の同級生は「へー、そうなんや」とあまり疑問を持っていない。素直ないい子たちなのです。

「おれの方がおかしいのか?」

と混乱しつつも、選択肢が狭まるのはヤバイでしょ、と直感的に思い、猛勉強をはじめます。オカンに頼み込んで、「ほんまに勉強するのか?」と疑われつつも、受験参考書を買ってもらい、夜な夜な朝まで勉強して、昼間は前を向いているのは無理です、と言って寝ていました。

これで、なんとか京都市内にあるヴィアトール学園洛星高校に入ることができました。

 

【高校時代:衝撃の初日】

そして、事件は初日に起きます。入学式の挨拶で、

「あなたの星はあなたの中にある。Your star is in your heart!」

「困ったことがあったらいつでも僕の部屋に来てください」

と校長の村田源次先生がおっしゃったのです。

「えー、これまで言われたことと違う。どういうことやねん(この人頭おかしいんちゃうやろか)?」

と逆に疑ってしまいました。

 

村田校長先生(通称ゲンちゃん、ゲンジイ)はいつもニコニコしていて、生徒に「カワイイ」とからかわれたりして、そんなに苦労したことがあるようには見えませんでした。

 

しかし、「あなたの星はあなたの中にある」という言葉が引っかかったので、校長室に行って、話を伺いました。校長先生はニコニコしつつ、自ら焼いたクッキーと紅茶を出して話を聞いてくださいました。

そうしたら、先生は15歳位の時に漁船が難破して、海外の船に拾われ、カナダの東部にあるケベックという町の教会で育てられたこと、フランス語がまったくわからず絶望し、故郷に帰りたくても故郷が地球上のどこにあるのか知らず、何度も死のうかと思ったこと。教会で働いて、第二次大戦後に京都に送り込まれて、学校設立に当たられたこと、などを伺います。

そして、肝心の

「あなたの星はあなたの中にある、ってどういうことなんですか?」

と質問すると、

「他人任せにするのではなく、自分で意志をもって努力すれば道は開ける」

「そこで、何をやっていきたいのか、自分は世の中でどんな役に立てるのかを、常に自問自答し、確かめながら生涯打ち込める仕事を探すのがよい。神様は見守ってはくれるが口はきけないので、道を示してはくださらない。だから、まずはあなた自身の頭で考えるのです。」

とおっしゃいました。

 

それまで、「自分で考えて自分で決める」とう選択肢を知らなかった私は、強いショックを受け、かなり動揺しました。

「考えろって言われてもどんな選択肢があるかわからんしなあ」

と思って、いろいろな世界を見てみたいと思うようになりました。

一方で、

「うちは貧乏やから自分で学費が払えるようなところに行くなら、大学に行ってもいい。学費がもったいない」

と父には言われ、

「こうなったら、国立大学に行くしかないな。」

「でも、京大だと科目がたくさんあるし、東大の理科1類だったら、英語や国語で点数を稼いで、数学が何問か解ければ半分くらいは得点して合格できるな」

と皮算用をしてみました。当時の私は暗記系の科目が苦手でしたが、本を買うお金がなくて、小さい頃に図書館に通って、たくさん本を読んだおかげで文章を読むのが速く、国語が得意だったのです。

最近は、ドラゴン桜などで、このカラクリが有名になりましたが、当時の私からすると消去法で、この組み合わせしか生き残る手はなかったのです。

過去問を20年分位徹底的に読み込んで、作戦は成功し、なんとか理科一類に進むことができました。

そして、悲惨な教育体験はまだまだ続く。。。

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残り24日達成まで418,000円
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