国家の品格
昨晩ActionScriptのマニュアル本を買いに渋谷に行ったついでに衝動買い、一気に読む。
同じようなことを考えている人がいるんだなと思った。
- 作者: 藤原正彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 新書
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グローバル化と言う名の下のアメリカ至上主義の押しつけ、歴史観のない品のない日本人、字が書けない、計算ができないゆとり教育を受けた若い社員、などなどアメリカ企業で働いている時の苦労がよみがえる。グローバルスタンダード、プルーブンテクノロジーなんてのはギミックに過ぎない。それを作っているのは所詮人間なのだ。
「地球市民になりたいから日本は嫌いだ」という日本人はどこかではき違えている。自国の理解や誇りがない人は尊敬されないのだ。彼らにとって便利な存在ではあるけれども。なんでも言うことを聞くし、アメリカが優れていると信じて疑わない訳だから。まるで植民地の番頭だ。かっこよく言うと、「リエゾン」などというがただの連絡係なのだ。
もう一方でアメリカのいいところは見習いたい。ひどいのもいたが、いいやつがずっと多かった。「おれは田舎もんであまり外を知らない」といろいろなことを知りたいといってはじめて日本にきたJは、金閣寺のキラビやかな建築ではなくて、銀閣寺の庭園がいたく気に入ったと言った。そして、7世紀も前の人はここで戦乱の京都の町を眺めながら何を考えていたのだろうと嘆息する。彼らは知的でユーモアに溢れ、郷土への愛や誇りがある。そして、いざ何かあれば戦場へも駆けつける。事実、彼はトップガンだった。トップガンでハーバードやプリンストンのMBA、なんてのがごろごろいるのだ。頭も切れるし、運動神経も抜群。出張時には、ワシントンD.C.のベテランズクラブでテニスをしたりした。「技術のことがわからないから教えてくれ、自社の製品の何が問題なのかを的確に指摘して欲しい」と言われた、彼は必死でノートを取り、ボードメンバーのミーティングで発表した。「こんな自分が言ったことをちゃんと受け止めてくれている人がいる」ってことはとても励みになった。
もう一方で、「アメリカ人と対等にやりあう日本人は許せない」と怒り狂っている日本人がいた。こういう人に日本のパスポートは要らない。本人も日本に生まれたことを恥じているくらいだから。
また、ヨーロッパの同僚達の知性や教養に恥ずかしくなった。
藤原氏も書いているが、日本の歴史を評価し、勉強している人は多い。たとえば、藤沢周平や三島由紀夫の本を読んだが、日本人の死に対する考え方について議論したいと言って来たのはイギリス育ちのZ君だった。「漱石の"こころ"の先生の死と、ミシマの死についてどう思うか」という質問などは日本語でもどう答えるか考えてしまう、英語でしどろもどろで話をした。そういう際にとても役立ったのが新渡戸稲造の「武士道」であり、平易な英語で書かれていてとても助かった。
ヨーロッパには武士道ではないが、騎士道というのがあって、弱い物には優しく、人間としての誇りを大切にする文化がある。そういう訳かどうかは知らないが、英語がつたなくおろおろしている自分にも優しく接してくれる人がたくさんいた。本当に感謝している。
それに対して、歪んだゆとり教育を受けて来た日本人は質が悪い。英語はぺらぺらしゃべるが中身がない。歴史のことも知らない、日本の歴史は明治時代から始まってしまうし、それまでには文化がないというし(!)、箸は使えないし、日本語の手紙(メール)は書けない。この辺りを改善しないと、「今の日本はどうして文化がなくなったのかね」と言われてしまう。幼い頃から英語で親が語りかけ、フォークを使って飯を食っているとこうなってしまうのだ。母国語で物を考えられない人は英語でなんてできない。日本のカルチャーのことを聞かれても、"I don't know."を連発するか、「日本にはそれはない」と誤摩化すしかない。
まずは己を糺すのが先だと思って、いろいろと研鑽に励んでいる。また、生まれ育った京都の町を誇りに思うし、荒廃しないようにしたい。だから、教育が大切なんだと思う。